美しい珊瑚礁、長寿の島、そして闘牛の島として有名な南海の楽園「徳之島」は、天城町、伊仙町、徳之島町の3町からなっております。徳之島は鹿児島市の南約470kmの海上に浮かぶ周囲約80km、人口約2.8万人の島です。奄美群島(奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島)の中で奄美大島に次ぐ面積を有する島であります。
  亜熱帯海洋性気候の徳之島は、年間を通して温暖であり、平均気温21℃以上、年間降水量約2,200mm程度と多雨であります。しかし、降水量のほとんどを梅雨期(5〜6月)と常襲する台風期に集中しているため、7〜10月に干ばつを受けやすく、島内には7個のダムがあり、現在徳之島ダムを建設しているところです。
  徳之島ダムの総貯水量は8,120千m3(東京ドーム約6.5杯分)です。ダムが完成したら奄美地域では最も大きな水がめになる予定です。

・徳之島にあるダム
   @轟木(とどろき)ダム
   A母間(ぼま)ダム
   B南部(なんぶ)ダム
   C神嶺(しんれい)ダム
   D西部(せいぶ)ダム
   E伊仙中部(いせんちゅうぶ)ダム
   F東部(とうぶ)ダム
   G徳之島ダム(建設中)

南部ダム西部ダム


伊仙中部ダム伊仙中部ダム

徳之島散策ガイド
☆味
  海の幸が豊富な徳之島では様々な魚介類の味が堪能できます。特に新鮮な伊勢海老などをたくさん使った豪快な鍋料理が有名です。また、ここにきたら食べてみたい山羊肉料理、奄美地方で有名な地鶏スープを御飯にかける鶏飯(けいはん)が郷土料理として知られています。
  奄美群島だけにある黒糖焼酎(写真)は、ギネスブックにも載った長寿で有名な泉重千代さんがこよなく愛したお酒です。くせの無い味で、水割り、ロック、お湯割り何でも合います。
  果物では、マンゴー、ドラゴンフルーツ、パッションフルーツ、タンカン等の南国の果物がとてもおいしいです。


☆自然
  美しい珊瑚礁で囲まれている徳之島ではやはりスキューバ・ダイビングが魅力的です。意外と知られていなく穴場みたいです。水温は年間を通じて20℃以上と温暖で、マグロ系からウミガメや回遊魚まで多彩な海中生物が見られます。島の西にある千間海岸のポイントではウミガメとの遭遇率が高いほか、冬は島のあちこちのポイントでコブシメの産卵が見られます。
  また、豊かな自然を誇る徳之島には、世界的に見ても貴重なアマミノクロウサギ、アマミトゲネズミやアカヒゲなどの、島固有の野生動植物が数多く生息しています。
  以上述べてきたように徳之島では自然が豊富です。しかし、自然を満喫するために島内を散策するときにはハブに十分注意してください。


☆伝統文化
  徳之島が最も熱くなるのは闘牛大会が開かれる時期かもしれません。闘牛大会は、1月、5月、10月に優勝旗争奪全島一決定戦大会が開催されます。島内には全部で13の闘牛場(写真)があります。中には全天候型のドーム式闘牛場まであり島人の闘牛に対する意気込みが伝わってきます。闘牛場は円形の柵で仕切られている簡素なものですが、その中で体重が1トンを越える巨体がぶつかり合い、角を摺り合わせ戦う姿は圧巻です。一見の価値があります。見る機会がありましたら是非観戦することをお勧めします。徳之島の島人に流れる熱い血を感じることができるまたとないチャンスだと思います。
  徳之島の闘牛の歴史は古く、薩摩藩による藩政時代の頃がその始まりということですから、約400年の歴史があるとのことです。


☆トライアスロン
  徳之島では昭和63年からトライアスロンが開催されています。参加者約130人で始まった第1回大会から順調に参加者を増やし、多いときで650人まで参加者は増えました。梅雨明け直後の6月末、気温が30℃を超える過酷な条件のなかで、全国のアスリートたちが競争します。トライアスロン開催のためには島全体で道路整備やゴミ拾い、ボランティア活動等を行って島民皆が盛り上げていこうとしています。その努力があってか現在ミドルでは5本の指に入る屈指の大会となりました。


☆サトウキビ
  沖縄等の南の島に行ったことがある人ならばすぐに気が付くのはどこを眺めてもサトウキビ畑が見渡せることです。ここ徳之島も同じで、どこを眺めても青々としてサトウキビが続いています。サトウキビは徳之島での基幹産業のひとつであり、生活の糧となっています。国内の黒糖製造は、奄美大島大和村の直川智(スナオカワチ)翁が、朝貢使のお供として琉球に渡航しようとした際、台風のため中国福建省に漂着、その地でサトウキビの栽培と製糖方法を習得し、帰国する際に苗を持ち帰り、1610年に地元で製造したのが始まりとされています。
 しかし、これはサトウキビによる苦難の歴史の始まりでもあります。徳之島は1263年に琉球王朝の支配下に入り、1609年には薩摩藩島津氏の琉球征伐により琉球から分割され薩摩藩の領地となります。薩摩藩は1616年には亀津に奉公役所を設けますが、高値で取引された砂糖に目をつけサトウキビの栽培を強要します。その取立ては厳しく「砂糖(サタ)地獄」と呼ばれる苦難の時代が続きました。この圧政に犬田布(イムタブ)農民たちが蜂起しますが鍬や竹槍で勝ち目はあろうはずもなく、さらに支配が強くなります。
  こうした歴史の荒波を乗り越えて今の徳之島があるのです。現在サトウキビは国が買取価格を決めており、農家の主要な収入源となっています。


☆交通案内
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(copyright 財団法人 日本ダム協会)


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